合気武道松柳会(しょうりゅうかい) 本文へジャンプ
座技 一本目
「一本捕」

合気武道の系譜

合気武道とは?
合気武道とは、合気道の源流となった武道、「大東流合気柔術」のことです。
大東流合気柔術は、会津藩の殿中武術で、殿中での狼藉者を取り押さえるための武術でした。
大東流の中興の祖と言われる武田惣角師は「大東流合気柔術」を全国各地で教授し、それぞれ教えを受けた弟子達によって様々な解釈の「大東流」が派生しました。合気道を創始した植芝盛平翁は、大東流合気柔術から危険な技を取り除き、円の動きを加えたことで「合気道」としました。
武田惣角師の嫡男である武田時宗師は、様々派生した大東流の基本が疎かになっている現状を嘆かわしく思い、大東流の基本技「秘伝目録118ヶ条」を纏め上げ「大東流合気武道」として世に送り出し、普及に努められました。

大東流の基本技を纏め上げた武田時宗師
大東流史上、様々な師範の先生が輩出されましたが、最も実戦でその武功を発揮されたのは武田時宗師をおいて他にはいないでしょう。
時宗師は戦後間もない頃に、北海道の網走で刑事として働いていました。網走と言えば有名な網走刑務所があるところで、最も凶悪な犯罪者が送られてくるところでした。その受刑者は出所後も網走に住み着いて犯罪を繰り返しました。その再び犯罪を犯す輩を最も多く取り押さえたのが時宗師で、警察から表彰状を贈られる程でした。
その意味において、時宗師の大東流は「最も実戦的な大東流」と言われています。

時宗師の意思を継いだ石橋義久師
石橋義久師は、武田時宗師の亡き後、時宗師の意思を受け継ぎ、「大東流合気武道本部道場 春風会」を主宰し大東流合気武道を広く普及してきました。
石橋師は時宗師門下で最も早く支部の設立を許され、東京都葛飾区に大東流合気武道の第一号支部道場を設立しました。、また、一刀流の宗家・笹森順造師に就いて一刀流の免許皆伝も受けました。
石橋師は時宗師の「最も実戦的な大東流」を後世に伝えるため多くの書籍、DVDなどを残しました。